パフォーマンスと見世物性

 パフォーマンス=歌・ダンス・MC
 見世物性=ギミック・プロレス的なもの・メンバーの素顔
 とします。「見世物性」はぴったりな言葉じゃないかもしれないけど、他に思いつかなかったので。

 僕は、ハロプロは主従関係で言うと、パフォーマンスが主で見世物性が従だと思っています。歌やダンスが主で、ギミックやプロレスやメンバーの素顔が従。ファンが「ギミック・プロレス・メンバーの素顔」を楽しむことは全然あるし、僕自身もメンバーがつい本音が出しちゃったラジオとかメイキングやバックステージなどのメンバーの素顔が見れるようなものは大好物なんですけど(笑)、ハロプロの作り手側は「歌やダンスが主」「ギミックやプロレスやメンバーの素顔が従」という意識を昔からずっと一貫して持っているような感じがします。この「作り手側がどう思ってるか」がポイントです。

 対して、AKB48さんは作り手側が「ギミック・プロレス・メンバーの素顔」っていう「見世物性」を最初からコンセプトに組み込んだ上でイベントや商品の企画を組んでるように見えます。そこがAKB48スタッフの優秀なところですね。見世物性こそがAKB48の面白みや親しみにつながるファクターだと確信して、メンバーに説明し納得させ(又は説明せずに結果によって納得させ)、大胆な企画を実行出来る。だからこそサブカル心やプロレス心や野次馬心をくすぐる。
 そこを割り切れないのがハロプロのスタッフさんたちなのかなって思います。「アイドルファン・サブカルファン・野次馬な大衆はそれを面白がるんだからやればいいじゃん。戦略的に正しいんだからいいじゃん」って思えない。どうしても「見世物性の強いことをやることでこの子たちに精神的な負担を強いるのは間違ってるんじゃないか」って考えちゃうんじゃないでしょうかねぇ。もしくは「あの子たちにそんなことはさせたくない」とか。パフォーマンスのレッスンでメンバーを追い込むことはあっても、見世物的なことで精神的に追い込むのには「そこまでするのは間違ってる」って考えちゃう体質があるような気がします。

 だから僕はハロプロのスタッフさんたちを基本悪く思えないんですよね(笑)。たとえ打ち出してくる企画がとんがって(エッジが効いて)なかったりありきたりだったりしても、メンバーに対する踏み込みがぬるかっりしても、そんなことよりもこの「パフォーマンスが主、見世物性は従」っていう姿勢を持っていてくれることのほうに、僕は魅力を感じちゃいます。
 ハロプロにも見世物性の側面はたくさんあります。でも作り手側がそれありきで作品や企画を組んでいく、というのはないんですよね。見世物性の部分は、あくまでも従。ハロプロの作り手側のこんなちょっと昔気質っぽいところも、僕がハロプロに魅力を感じる一因のような気がします。

 この「パフォーマンスと見世物性」については前からなんとなく考えてたんですけど、「でもハロプロファンだってギミックやプロレスやメンバーの素顔を楽しんでるところは大いにあるよな…」って思って、それに上手く反論出来ずモヤモヤしてました(笑)。でも「作り手側の姿勢・意識として」「どちらが主か従か」っていうポイントを思いついて、自分的にかなりスッキリした感じ。